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2025.03.28

琉球ゴールデンキングス・崎濱秀斗の夢のスタート「プロの世界で自分を成長させていきたい」

  • 月刊バスケットボール
「秀斗もっと笑って!」

琉球ゴールデンキングス桶谷大HCの柔らかな声が響く。

秀斗とは、先日、特別指定選手(プロ契約)としてクラブへの加入が発表された崎濱秀斗とのことだ。3月28日に沖縄サントリーアリーナで行われた崎濱の入団会見は、翌日にレギュラーシーズンゲームを控えている関係でイレギュラーな形で進んだ。

本来、こうした会見は質疑応答→フォトセッションという流れが一般的なのだが、同席した桶谷HCと岸本隆一を翌日の試合に向けて先に退出させるため、フォトセッション→2人への質疑応答→崎濱と安永淳一GMへの質疑応答の順番となった。特にルーキーにとっては緊張のメディア対応を乗り切った後のフォトセッションの方がリラックスした笑顔を浮かべられる。だが、先にフォトセッションとなると崎濱の顔も少しこわばっていた(もっとも、彼は高校時代からあまり作り笑顔が得意ではなかったが)

そこで冒頭のように桶谷HCが崎濱に語りかけたのだ。

桶谷HCは、崎濱との縁は彼が高校時代の頃からだと回想した。「彼が高校生の頃にキングスのU15やU18チームが福岡第一さんとよく練習試合をさせてもらっていて、そのときから彼のことを注目していました。もちろん全国大会での活躍も見ていて、井手口(孝)先生ともいろいろな話をしながら、『将来は一緒にバスケがしたいな』という話もしたりしました。彼がアメリカに留学することは分かっていたので、将来的にキングス(の一員として日本に)帰ってきてくれたらいいなと思っていました」

スラムダンク奨学生として渡米していた崎濱は、昨年秋に発表していたディビジョンⅠのメリマック大とのコミットを解除。以降はその動向が注目されていたわけだが、このタイミングでのプロ転向、そして琉球加入の経緯をこのように説明する。

「実際に大学に行って、そこで初めてディビジョンⅠの試合を見させてもらったのですが、自分ならもっと上のレベルでやれるなと感じました。プレップスクールで過ごす中でBリーグの試合を見る時間がたくさんあって、自分は昔から琉球ゴールデンキングスが大好きなチームだったので、毎試合見させてもらっていました。それに、今自分が一番成長できる機会があるとしたらプロでやることだと、大学の試合を見て思いました。ただ、この年でプロの厳しい世界でプレーできる機会が与えられることは、僕の中ではあまり期待していなかったのですが、そんな中で琉球がすばらしい機会を与えてくれたので、プロの世界で自分を成長させていきたいと思い決断しました」

ディビジョンⅠの大学といえば聞こえはいいが、その数は全米で約360校。それだけあれば実力や練習環境もピンキリである。崎濱も「全てのレベルで、フィジカル、スキル、シュート力など…試合前のアップから全部見させてもらった中でもっと上のレベルで、もっといい環境でバスケをさせてもらいたいと感じました」と率直な思いを話した。その言葉の紡ぎ方は、必ずしもNCAAでプレーすることが最良の選択ではないことを示唆するかのようでもあった。

少なくともメリマック大よりもハイレベルなD1大学でプレーできないのであれば、プロ転向が自身のキャリアの最良の選択だと、崎濱は判断したということだろう。そこにオファーしてくれたのが憧れる琉球だったことも、彼の決断を容易にさせたに違いない。


キングスがきっかけで
バスケに熱中

そもそも崎濱がバスケットボールを始める大きなきっかけとなったのも、琉球の存在だという。彼の父・崎濱秀勝さんは現在、県立石川高の女子部を率いて2年連続でウインターカップ出場を果たしている沖縄の名指導者。2019年には現在シャンソン化粧品シャンソンVマジックで活躍する知名祐里を擁し、西原高をインターハイベスト8に導いたこともある。そんな父が北谷高の監督をしていた頃に、琉球との縁があった。

「昔、父が北谷高校の監督をしていて、当時のキングスの練習場が北谷高校だったんです。そのとき僕は幼かったのですが、練習に来る選手たちを体育館の上のギャラリーで見させてもらっていました。そのときに自分もバスケをしたいと思いました。僕は琉球ゴールデンキングスのおかげでバスケを始めることができて、今もバスケに夢中になれています」

一人のキングスブースターになってからは、岸本と並里成が作り出すゲーム展開の虜になった。「岸本さんと並里さんが一緒に出ていたときの速い展開のトランジションバスケが本当に心に残っています。自分も将来そういう選手になりたいと子どもの頃からずっと思っていました。小柄でも高いレベルでやっていける姿をずっと見てきたので、そういう選手になれるように頑張っていきたいです」と崎濱。

彼は自身のプロキャリアが琉球で始まることを「夢のスタート」と表現している。それは同時に、今の沖縄県の子どもたちに夢を与えるスタート地点でもある。安永GMは今回の崎濱の決断が彼自身、そして沖縄の子どもたちにとってどんな意味があるのかをこうまとめ、崎濱にエールを送っていた。

「職業としてプロバスケットボール選手は本当に立派なものになったと思います。以前だったら『プロバスケ選手になりたい』と言われたら『いや、やめておけ』と言ってしまっていましたけど、時代が変わりました。崎濱選手はバスケットボールに対するパッション、情熱がすごく高いレベルにあるので、本人も少しでもそれを高めたいという思いがあるでしょうし、現状に満足しないという気持ちを一番に感じます。崎濱選手のような選手が、今、小中学校でバスケをしている選手のロールモデルのようになればいいと思います。プロの選手としていられる期間は限られているので、その期間をどこで過ごすかは本当に大切です。私が崎濱選手に伝えたのは、『プロに入って稼げるのなら稼いだ方がいいと思う』ということ。遠回りする必要もないですし、でも、しっかりと稼げる選手にならなければいけません。それがプロだと思いますし、キングスでしっかりと仕事してもらいたい。それがまた沖縄の子どもたちの夢に変わっていくと思います」

一方で岸本は、自身も”沖縄出身選手として”という周囲の期待を背負ってきた身として、崎濱にこんな言葉を送った。「沖縄出身というところはありますが、彼には彼の目標があると思うので、その目標に向かってまっ直ぐに進んでいってほしいです。少しでも何か助けになることがあれば、フォローしていきたい」

19歳の青年に余計なプレッシャーをかけないようにという、ベテランらしい配慮だった。



入団会見2日前の川崎戦で
Bリーグデビュー

実は崎濱はこの入団会見の2日前にBリーグデビューを済ませている。オーバータイムにもつれる死闘(116-111)の末に勝ち切った川崎ブレイブサンダースとのアウェーゲームが、彼のデビュー戦だった。

この試合はポイントガードの平良彰吾がケガ、ハンドラーも任される松脇圭志がコンディション不良で欠場したことで、「ポイントガードが足りてなかったのが正直ありました」と桶谷HCは振り返る。そんな中で12番目のロスタースポットを勝ち取り、9点リードの2Q残り6分57秒にコートイン。すると崎濱は最初のポゼッションでヴィック・ローのスクリーンを使い、いきなり得意のミッドレンジジャンパーを狙った。このシュートは惜しくも外れ、その後のタイムアウト時にベンチに下がると、以降、出場機会は訪れなかった。スコアシートに残る数字は出場1分13秒、フィールドゴール試投1本のみだったが、この1本に大きな意味があると桶谷HCは語る。

「プレータイムをある程度シェアしなければならない中で、隆一が30分以上出ることにならないように1ポゼッションでも(岸本を休ませられれば)と思って秀斗に出てもらいました。でも、チームで一緒にウォークスルーなどをやったのも1、2回でしたし、現状では12番目の選手なので5人の練習にもなかなか入れない状況でした。その中での1ポゼッションはなかなか難しかったと思います。それでもしっかりと形を作って、ルーキーが…というか19歳の選手がシュートを打ちにいけるメンタリティーを持っているのはすごいと思いました」

そして最後に、桶谷HCは笑顔を見せてこう続けた。

「僕はその1ポゼッションに夢を見ました」

崎濱はBリーグデビューについて「まだ実感がない」と話していたが、この1本のシュートもまた、彼の夢のスタートだったと振り返られる日が来るのではないか。

桶谷HCは崎濱に将来どんな選手になってもらいたいかを尋ねられると、こう話した。「沖縄のうまい選手はよく、ネクスト岸本、ネクスト並里と言われると思うのですが、彼にはネクスト岸本ではなく、“崎濱秀斗”として自分の良いところを出してほしいですし、将来的には逆に『あの選手はネクスト崎濱』と(周囲に)言われるような、そんな選手になってもらいたいです」