2025.03.26
元Bリーガー・湊谷安玲久司朱のセカンドキャリア
青山学院大学時代は絶対的なエース
高校、大学とバスケットボールを通じて同じ時間を共有してきた篠山竜青(川崎ブレイブサンダース)、橋本竜馬(ベルテックス静岡)、そして、湊谷安玲久司朱の3人は、2024年6月に『88 Basketball』(名称は3人が1988年生まれに由来)の活動をスタートさせ、各地で「88 Basketball Camp」を開催している。
キャンプの現場では、Bリーグで活躍している篠山と橋本がメインコーチとなって指導をしているが、湊谷は自分より身長の低い2人の後ろから静かに付いていく。そんな彼を見た子どもたちからは「あの大きい人は誰?」という顔で見られることもしばしば(しかもイケメン)。昔からとにかく人前で話すのが苦手で、人見知りだった。様々な経験を経て「どこに行っても話せるようになった」という現在も、おしゃべりでは「到底かなわない」と湊谷も認める篠山や橋本を立て、裏方として動くことが多い。

だが、湊谷のバスケットボール選手としての経歴は華々しい。
ベルギー人の父と日本人の母との間に青森で生まれ、小学生の頃はサッカーをやっていたが、4年生の時に仲のいい友達と一緒にバスケットを始めたという。
バスケットを始めてからはその面白さに目覚め、中学生の時には、2年、3年と連続して、青森選抜の一員としてJr.オールスターに出場。3年生の時にはチームを準優勝に導いた。その後、高身長(当時188㎝)と非凡な才能を見込まれて津軽中に転校し、全中で準優勝の栄冠に輝いた。高校は幾つかの学校からリクルートされたが、「親元を離れて京都に行きたかったし、ユニフォームも格好良かった(笑)」と、自ら希望して強豪の洛南高へ。さらに大学も関東屈指の青山学院大へと進学した。
青学大のチームメイトには、1学年上に渡邉裕規(宇都宮ブレックス)、同期には、橋本竜馬、1学年下には、辻直人(群馬クレインサンダーズ)、2学年下には、比江島慎(宇都宮ブレックス)、3年学年下には張本天傑(名古屋ダイヤモンドドルフィンズ)、永吉佑也(サンロッカーズ渋谷)ら、今でもBリーグで活躍している選手たちがいて、常勝軍団として名を馳せていた。
当時の青山学院大は向かうところ敵なしと言ってもいいほどの強豪だった。特に湊谷が4年生の時は、関東トーンメント、新人戦、関東大学1部リーグ、そして、インカレを制し4冠を獲得。だが、最上級生になった湊谷にとっては苦しいシーズンでもあり、一つの分岐点だったと振り返る。

――大学時代の印象に残っていることは何ですか?
(橋本)竜馬がケガをして出られなかった4年のリーグ戦の時かな。竜馬がいない分、リーダーシップというか、自分の気持ちに変化が出てきて、泥臭いこともやらなければいけないって思って頑張っていた気がします(笑)。そういう気持ちの変化、自分が変わったと思ったのはあの頃でしたね。学生時代はいろいろあって、時には遊びに走ってしまうことや、バスケットを辞めようと思ったこともありました。今振り返ると辞めずに続けてきたからこそ、卒業後にプロ選手になることができたし、本当にバスケットを続けてきて良かったとつくづく思います。
――当時、取材をしていた時に湊谷選手の変化をすごく感じましたよ。試合後のインタビューでもそういったお話を聞いたことがありましたね。ところで、プロ選手になってからはケガが多くなったのはなぜでしょうか?
学生時代はほとんどケガもなく、体重も軽かったし、トレーニングもちゃんとしていたから体の面はすごく良かったんです。でも、社会人になってケガが多くなった理由は自分でもわからないんです。多分大学生の頃まではオフェンスなど自分の好きなことだけをやって、他の動きに使う筋肉をセーブしていたのではないかなと…。プロになってディフェンスなどで今まであまり使っていなかった筋肉も使うようになったから、ケガを防ぐ筋力が弱かったんじゃないかと思います(苦笑)
――ところで、現役中は引退後について何か考えていたことはありますか?
そもそも30歳で引退するなんて考えていませんでした。それこそ、30歳の時に横浜ビー・コルセアーズから『もう継続はしません』と言われた時には、実は心の中では『ワンチャン継続あるかな』と思っていたんです。でも、継続できないと言われてからは、次のチームを探したり、いろいろな人に話を聞いたりしていたのですが、結局トップリーグからは声がかからなかった。だから、今までトップリーグでやってきたプライドもあったし、さらにアキレス腱を切った経験もあったので、120%の力を出してプレーできないのなら、トップリーグでやっていた選手としてそのまま引退しようと決心したんです。
引退後は家業を手伝いながら起業の道を切り開く
――そして引退後は?ひとまず母がやっていた西京漬け屋さん(湊屋)を手伝いながら、ビーコル時代にお世話になっていたスポンサーさんのところで働かせてもらって、それからはバスケットを一切やらなくなりました。で、その1年後ぐらいかな。元々ビーコルのスポンサーさんだった方の3x3のチームに誘われたのが、またバスケットを始めた理由ですね。でも、1年何もやっていなかったから体もだらしなくなっていて(笑) アキレス腱を切った経験もあったから走るのに不安があったんです。ところが、実際に3x3をやってみたら5人制と違って横の動きがメインで、縦に走る動きがなかったんですね。3x3はオールコートで走らないから、これならできると思ってチームに入りました。
――家業のお手伝いをしていた時はその後についてはどのように考えていたのですか?
とりあえず母親の事業を大きくしてあげたいと思っていたし、バスケットも1年ぐらいは休みたかったので、働きながら先のことを考えようと思っていたタイミングの時に、3x3のチームから誘われたんです。そのチームの社長さんは不動産、介護、通販などいろいろな事業をやっている方で、その方と話をした時に『何かビジネスをやったらどう?』『自分のストーリーがちゃんと反映させるものはどうかな?』というアドバイスしてくださって、それでサプリメントの会社を起業しました。
――実際に始めてみてどうでしたか?
銀行の融資を受けるために事業計画書を作ったり、銀行に行って交渉したりとすべてが大変でした。でも楽しかったですね。新しことを自分で1から始めることって大人になるとなかなかないことで、僕にとってはすべてが初めてのことだったから、ワクワクしながらやっていました。メールの丁寧語なども調べながら、30歳になって初めてそういう勉強をしながらも、それがすごく新鮮で楽しかったんです。
――実際にサプリメントの開発はどのように行ったのですか?
サプリメントにはいろいろな成分があり、そういった会社の方と話しながら、成分を教えていただいたり、僕からも『こういうのを入れたい』と伝えて、それから試飲を繰り返して半年くらいかけて完成させました。ですから、今、販売しているのは全部自分で選んだ成分が入っています。
――何かに特化してサプリメントを作ったのですか?
サプリメントを作るきっかけはやはり自分のケガに起因しています。僕がアキレス腱を切って120%のプレーができなくなったのが引退の原因でもあったので、ケガをしないためにはどういう成分が必要なのかというのを勉強して、それらを合わせて繰り返し試飲して出来上がったのが、“ケガをしない体作りをサポートしてくれるサプリメント”です。起業してもう5年になります。
――今出しているサプリメントの種類は?
今は2種類です。ケガをしない体作りにおいて体重も重要ですから、体重管理プラス疲労回復メインの2種類で、もちろん僕も飲んでいますよ。3x3に取り組んでいた時期にはすごく助かりました。飲んでいる時と飲んでいない時では全然違いました。
同期3人で始めた事業。セカンドキャリアについて

――ご自身で起業しつつ、篠山選手と橋本選手と一緒に88 Basketballの活動を始めたわけですが、ご自身としてはどのようにこの活動を発展していきたいですか?
まず2人に対しては尊敬と、声をかけてくれて本当に感謝しかないです。それに今までバスケットをずっとやってきたので、これからはそれを子どもたちに還元していく事業に関われるのがすごくうれしいです。今後、会社として子どもたちに還元していくことも当然大きな目的ですが、ビジネスとしても会社の規模を大きくして選手のセカンドキャリアにもつなげていきたいです。
――選手のセカンドキャリアについてはどのようにお考えですか?
バスケット選手の引退後というと、スクールでの指導、チームのコーチ、スポンサーさんの会社で働くなど、僕が聞いている限りではその3種類ぐらいしかないんです。起業して会社を作っているという話はあまり聞いたことがありません。ですから、僕たちの思いとしては会社を大きくしていろいろな事業をやって、そこにセカンドキャリアとして(現役を退いた選手たちを)迎え入れられたらいいなと思っています。つまり88としては、バスケットボールのキャンプを続けていくことだけが今後の展望ではないんです。とはいえ、まずは僕たちの第一はバスケットなので、そこの土台作りのためにこれからもキャンプを展開していき、その土台を作ってから他の事業もやっていきたいと思っています。
――一緒に活動している篠山選手と橋本選手とはうまくいっていますね。
彼らとの役割分担がしっかりできていて、キャンプの時には2人が全部しゃべって(説明して)くれます。2人とも話が上手でうらやましいです(笑)。僕は話し下手なので事務処理など裏のことをやって、キャンプでは2人に前に出てもらう。本当にちょうどいいバランスなんですよ。
――プロリーグとなったバスケットですが、これから引退後のセカンドキャリアを考えていく人たちに経験者としてアドバイスをお願いします。
僕が引退して思ったのは、去年からこの活動を始めましたけれど、これでも遅かったと思っています。ファンの人たちから見ると、選手をやりながらいろいろな事業をやっていると、『選手の仕事をちゃんとやれよ』と思われるかもしれません。でも、僕としては選手たちも現役の時からセカンドキャリアについてもっと考えた方がいいと思うし、中には何かで稼いでいる選手もいるかもしれませんが、現役中から次のことを考えて展開していくのがいいと思います。絶対にいつか引退する日は来ますから、バスケット選手として頑張りながらも、第二の人生を考えて動くのも大事だと思います。僕も現役時代からやっておけば良かったと今思います。とはいえ、なかなかできないんですけどね。バスケットをやるのが精いっぱいで(笑)
湊谷安玲久司朱
Profile
みなとや・あれくしす◎1988年8月31日生まれ/洛南高→青山学院大→三菱電機ダイヤモンドドルフィンズ→サイバー・ダインつくばロボッツ→横浜ビー・コルセアーズ/2019年9月現役を引退→2020年9月、BEEFMAN.EXE(3x3)で競技に復帰/2020年12月、アスリートとしての経験を生かしてサプリメントの通販事業、株式会社Alexisを起業。また、2024年、『88 Basketball』の活動を篠山、橋本とともにスタート/現役時代は大型オールラウンドプレーヤ―として活躍
記事提供:月刊バスケットボール