ロネン・ギンズブルグHC(川崎ブレイブサンダース)の笑顔
今季から川崎ブレイブサンダースを率いているロネン・ギンズブルグHCに少し時間をもらって話を聞いた。プレーヤーの世代交代の時期も重なった来日初シーズン、川崎はチームとして新たなスタートを切ったばかりの状態で、3月18日現在13勝28敗と苦戦中。コートサイドで戦況を見守るギンズブルグHCは、厳しい表情を浮かべていることが多いかもしれないが、少しバスケットボールから離れた問答をお願いしたこともあってか、取材中は明るい笑顔をはじけさせてくれた。
取材した当事者が言うのもなんだが、正直なところ他愛もない会話だ。ただ、ギンズブルグHCは素のまま、気取りのない「自分」を出してくれていると思う。
ニックネームは「ネノ」。イスラエル出身で、コーチとしての人生も母国でスタートした。しかし主なキャリアの舞台はチェコだ。2020年には同国で市民権も得ており、翌2021年にはチェコ代表HCとしてオリンピック予選を勝ち抜き、東京2020オリンピック出場も果たしている。果たしてその人となりは? 早速やり取りを紹介していこう。
思った以上の異文化体験に直面中
――あなたは文化も状況も環境も異なる世界から日本にやってきました。これまでと異なる生き方をしなければいけないと思うのですが、やはりとても難しいことが多いものでしょうか?
それはそうですね(笑)。イスラエルで生まれ、育ったことに始まって、これまで18年近くもヨーロッパでコーチをしてきましたから。イスラエルは中東で、これもヨーロッパと違ったし、日本に来たらやっぱりまた相当違います。だから今の私はまるで赤ちゃんみたいなものです。笑われちゃうようなこともしてしまうんですよ(笑)
何しろ、文化や習慣も内面的なものも違います。ちょっと例を挙げると、ヨーロッパでもイスラエルでもこれまでに私が住んだ地域では、歩きスマホをする人がいても咎められる場面を見たことはありませんでした。それがここでは、歩きスマホをする人自体を見かけません。歩きながら何かを食べている人もいないですけど、以前住んでいたところではそれも別に問題ではありませんでした。本当にいろんなところで違いを感じています。
それと、人々が本当に親切だというのも感じています。ある日、駐車場で代金を清算しなければいけない場面があったんですが、私は機械の使い方がわからなくて。そうしたら、近くにいた人が、こちらから頼んだわけでもなかったのにやり方を教えてくれたんです。これは学校教育からしてしっかりしている証拠だなと感心しましたよ。
でも、本当に新しいことが多くて大変です。こんなに違うとは思っていませんでした! まあ、慣れるのに10年もかかりませんけどね(笑)
——コーチのニックネームである「NENO」からちょっとググってみたら、おもしろいことがわかったんですよ。神奈川県内には「ねの」と名付けられた「子之神社」がたくさんあるんです。
本当ですか! でも、それはどういうことなんでしょう?「ネノ・シュライン」とは…?
——ええ。何やら、ねずみが関係している神社のようです。
ねずみ!? なんでまたねずみなんですか?
——ねずみは赤ちゃんをたくさん産むので、実り多く繁栄することを願うシンボルなのかも*。コーチにも川崎ブレイブサンダースで素晴らしい繁栄のときが来るように願っています!
*=ねずみは子之神社に祀られている大国主命を助けた神の使いとして古事記などに登場する。また、ねずみは、大国主命が歴史を経て習合する大黒天の使いで、五穀豊穣や子孫繁栄をもたらす存在ととらえられているようだ。
ありがとう。私もそう望んでいますよ。今年は新しいグループ、新しいチームで、チーム作りはまだまだこれからですから頑張っていきます。でも、「ネノ・シュライン」ですか。知らなかったですね。祈りをささげる場所には以前一度出かけたことはありましたけど(今季開幕前にチームを挙げて川崎大師に参拝した)。もし子之神社に行ったら、私はステージのようなところに挙げられてしまうかもしれませんね(笑)
——それで、興味をひかれたのはネノというニックネームなんですけれど、なぜそう呼ばれるようになったんですか?
それは単純な理由です。9歳年下の弟が、ロネンという私の名前をうまく発音できなくて、ネノ、ネノと言っていたからですよ。私がまだ11~12歳だった頃で、それを聞いた友だちが私をネノと呼び始めたんです。ねずみとのつながりはありませんよ!(笑)
©B.LEAGUE
人柄、知識、経験でチームの成長を促す
会見の場で記者の質問に答えるギンズブルグHCの姿からは、正直なところどちらかというと堅物な人柄をイメージしていた。しかし会話のリズムは軽妙で、何度も笑顔をはじけさせる柔和な紳士だった。
この取材前日の3月1日、広島ドラゴンフライズとのホームゲーム前には、2月にこの世を去った(宇都宮ブレックスHC)ケビン・ブラスウェル氏に黙とうがささげられていた。ギンズブルグHCはその日、会見の冒頭で次のコメントを残している。
「今日は自分たちの試合の話をする前に、触れておきたいことがあります。ケビン・ブラスウェル氏が亡くなられたことを受け、本当に自分たちがバスケットボールをできていることのありがたみ、こういった瞬間の大切さ、またバスケットボールよりも大きなことがあることを痛感し、心からお悔やみを申し上げます。彼がバスケットボール界にもたらしてくれた貢献を称えさせていただきます」
自身と同じ道を志した人の早すぎる死に胸を痛め、弔う思いは誰もが共感できるものだろう。インタビューでのやり取りからは、異国での生活で直面する様々な違いに戸惑いながら、懸命に現在の環境に馴染もうとしていることが感じられるが、そんなコーチなら周囲と溶け合うのに、コーチ自身が冗談めかして話したような長い時間はかからないのではないだろうか。
「ありがとうございました」と別れの握手を求めると、大きな手でギュッと握り返してくれたギンズブルグHC。その温もりと朗らかな笑顔が川崎の急成長を予感させた。