仙台89ERSが東日本大震災の追悼行事に参加、志村雄彦社長「この街を誇りに思って闘い続けていることをしっかり伝えていきたい」

選手・スタッフ計約50人で参加
東日本大震災から14年目を迎えた3月11日、仙台89ERSは選手・スタッフ計約50人で、震災遺構となっている仙台市立荒浜小を訪問した。選手たちは津波で被災した校舎内を見学した後、地震が発生した午後2時46分に屋上で黙祷。その後、花の種が入った色とりどりの風船を飛ばす追悼行事に参加した。
震災の影響で一時チーム解散の危機に陥った仙台89ERSは、「助け合い、チームワークのスピリッツをバスケットボールで表現し、日本中、そして世界に発信する」ことをクラブ理念の1つに掲げている。
仙台市出身の片岡大晴は「この日常が当たり前ではないと改めて考えさせられる日です。勝敗以上に僕たちの姿勢だったり表現する姿が、つらい思いをした方々の心に届いたら一番良いと思っているので、力強くプレーしていきたいです」と意気込みを語る。
福島県出身の半澤凌太は小学5年生のときに学校で被災。机の下にもぐった後、記憶がなくなるくらいパニックになったという半澤は「自分が好きなバスケットボールができていること、多くの方々に黄援してもらえていることに感謝し、最後まであきらめずにプレーしたいです」と決意を新たにした。
当時選手としてクラブに在籍し、荒浜小に移動するバスの中でクラブが仙台・宮城に存在する意義を選手たちに伝えた志村雄彦社長は、力を込めて言う。
「震災を経験していない世代も育ってきた中で、教訓や体験を伝えていくのが自分たちの使命です。試合ができる喜びをかみしめて、黄援してくださるたくさんの方々に、仙台89ERSはこの街を誇りに思って闘い続けていることをしっかり伝えていきたいです」
志村社長はクラブ公式サイトにも次のようなメッセージを寄せている。
“東日本大震災から14年という月日が経ちました。
仙台89ERSは一時チーム解散の危機に陥りながらも、仙台・宮城のみなさまに支えられ、ここまで存続することができました。ファンのみなさま、パートナーのみなさま、そして地域のみなさまの多大なるご支援に心より感謝申し上げます。
日々当時の記憶が薄れる中、今日という日は当時のことを思い出す大切な時間となります。
あの時からここまで歩んできたナイナーズ唯一のメンバーとして当時の想いを伝え、届けることが自分の使命であると信じて活動してきました。
多くの悲しみと深い痛みの中、バスケットボールの力を信じ、遥か遠くに見える明るい未来に向かって一歩一歩進み続けた日々。
踏み固めた道がナイナーズの道となり、「このまちとともに」歩む道となってきました。
ナイナーズはこれまでもこれからもこのまちとともにみなさまと手を取りあい、思いやりの心を持って進んでいきます。どんな困難が待ち受けようと乗り越えられると信じて活動していきます。”