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2025.02.13

バスケットボール・伊藤俊亮さん|アスリートの次を生きる シングルファーザー×経営者×解説者のパラレルキャリアの道

  • バスケットボールキング

 アスリートもビジネスマンもキャリアには挫折、苦労がつきものだ。伊藤俊亮さんはプロバスケットボール選手、日本代表として間違いなく「一流」と言い得るアスリートで、人気者でもあった。しかし千葉ジェッツで迎えた現役生活の終盤には「ボロボロの状態」を味わい、それを乗り越えた。

 引退後も千葉Jのスタッフを志半ばで辞し、次に始めたフィットネスクラブの事業も撤退を余儀なくされた。私生活では、長く「シングルファーザー」として子育てと仕事を両立している。決して順風満帆な人生ではない。

 45歳となった現在はビル管理を中心とした不動産業、バスケットボールのコメンタリーとして活動しつつ、次の夢も追っている。インタビュー後編はそんな伊藤さんに千葉J時代の秘話、ネクストキャリアの苦闘、今後への夢といったテーマを語ってもらっている。

取材=大島和人
撮影=野口岳彦

――三菱電機ダイヤモンドドルフィンズ名古屋(現名古屋ダイヤモンドドルフィンズ)を経て、Bリーグ開幕と同じタイミングで千葉ジェッツに加わりました。千葉Jに来た頃はもう30代半ばのベテランです。
伊藤 三菱電機では「プロ選手として企業チームに所属する」立場でした。これはなかなか難しかったですね。千葉ジェッツ入りは自分のキャリアとして、集大成だと思っていました。ただ蓋を開けてみると帰化選手のマイケル・パーカーの加入が決まっていたんです。

 プレータイムもガクッと減って2、3分出られれば……という状態でした。かなり苦しみましたし、精神面でも半年くらいは結構ボロボロの状態でしたね。

[写真]=ご本人提供 千葉ジェッツ時代の伊藤さん

――どんなスポーツでも「出番は無いけど、練習で全力を尽くし、チームを引っ張るベテラン」はすごく貴重です。伊藤さんはそういうイメージがあったし、その役割をもう少し前向きに受け止めていたのかと思っていました。
伊藤 なかなか気持ちを切り替えられなかったですね。最初から試合には出られないつもりだったり、ずっと同じチームにいて少しずつそうなったりしたら違ったと思いますが、自分は「ある日突然与えられたポジション」というイメージでした。

「できることは何だろう?」と考えると、大野さんと既存の選手たちとの信頼関係のため、自分が献身的になることでした。出場時間が無かったとしても、練習を100パーセントでやり続けることで、他の選手がヘッドコーチを信頼するための手がかりを作る。「このやり方で合っている。この人にちゃんとついていこう」という態度を出し続ける。それが自分の役割かもしれないなと気づいて、やり始めてうまくいった感じでした。

――あと対外的な発信に積極的でしたし、チームを盛り上げていた記憶があります。
伊藤 その役割も「それまで続けていたことがたまたま残った」感じです。千葉に来てまず気になったのは、選手たちがキャラ立ちしてない、静かすぎるという部分でした。大野さんは「プロチームでありながら、選手がプロじゃない」と言っていました。コート上で話ができないことや、声が出ないこともそうです。でも練習が終わったら、まあよく喋るんですよ(苦笑)

――今では想像もつかない話です。
伊藤 お客さんは入っているけど、プロチームとしてまだ成立していませんでした。だからホームゲームでも相手チームのプレーに盛り上がりを持っていかれるんです。自分たちの選手で楽しんでもらわなければいけないし、そのためには発信しなきゃいけない。だから「この子はこういうキャラです」「こういう楽しみ方がありますよ」と発信しまくりました。

[写真]=野口岳彦

――引退後はジェッツのスタッフになりましたが、一年で辞められました。
伊藤 個人的には道半ばでしたが辞めざるを得なかった感覚です。(親会社、社長の交替などで)少し社内の状況が変わった時期だったし、シングルで子どもを育てているので子どもとの時間ももっと確保したいと考えていました。

 ジェッツに来て2年目に入ったくらいから、一人で二人の子どもを見ていました。今は上が高1で、下が中1です。いつかスポーツに戻れたらと思いつつ、両親の住んでいる横浜市のマンションの下がたまたま空いていたので入居しました。

 父親がやっていた不動産の仕事を「お前が社長をやれ」と言われて、引き継ぎました。市況があまり良くなかったので、それならば事業を、という話が出たんです。たまたま近所でやっていたフィットネスクラブが、引き受け先を探していました。

――2018-19シーズンで千葉ジェッツを退職されているので、その頃ですね。
伊藤 2019年の夏に話をいただいて、現地を確認して話も進めて、いよいよスタートというタイミングで、ちょうどコロナの問題が起こったんです。半年後の2020年秋に再検討しようという話になったのですが、コロナがそんなに長引くとは思っていない中で契約してスタートしました。ただ、なかなか難しかったです。ロシアとウクライナの戦争で燃料費などの高騰も起こって……。2024年の9月に、コスト的に限界という判断で閉館をさせてもらいました。

 今は不動産業に戻ったところです。あと昨年の10月からBリーグの公式映像のコメンタリー、解説の依頼もいただいています。

――フィットネス事業はかなりご苦労をされたんですね。
伊藤 落ちていくスピードを緩めることしかできず、本当につらかったです。横浜市の日ノ出町という、少し特殊な立地でした。最寄りが京急の日ノ出町駅で、JRと市営地下鉄の桜木町駅からも徒歩圏内です。桜木町というとみなとみらいのイメージですけど、その反対側です。今思えば、周辺に住まわれている方とフィットネスがあまりマッチしていなかったのかもしれないですね。

――経営立て直しのためには、どういう努力をされましたか?
伊藤 横浜はプロチームもたくさんあるし、地域の人にスポーツを感じてもらうための「ハブ拠点」みたいに楽しんでもらうしかないと思っていました。自分から町内会に行ったり、商店街に行ったり、会合があれば顔も出しました。お祭りがあれば協力もしていました。

――ジェッツの営業と変わりません。
伊藤 やっていることは一緒です。皆さん地元愛も非常に強くて、一生懸命お祭りをやるんです。そこに出演してチアを呼んだり、フィットネスのショーをやったりしていました。実際おじいちゃんおばあちゃんたちも喜んでくれて、楽しそうだったけど、入会については「私たちが通えるようなものでもないし、そんなにお金もないので……」みたいな反応でした。

[写真]=野口岳彦

――今は不動産業とおっしゃいましたが、どういう業態ですか?
伊藤 家族経営に近くて、ビルの管理をしながら不動産売買もやる形です。ビル管理は「そろそろエレベーターを更新しなきゃ」とか、そういう仕事です。最初は分からないことだらけでしたし、ビル管理は見るポイントや対応も多岐にわたっているので、こちらも苦労はしましたね。

――最大のご苦労は何でしたか?
伊藤 まずコロナ禍における家賃のコントロールがあって、今は色々なものが高騰しているから家賃の値上げ交渉が必要です。資料を作りまくって「周辺家賃と比べると」というような話をします。

 管理のコストは右肩上がりなので、それを削減するアイディアを練り続けなければいけません。照明の交換一つとっても、どういうやり方があるのか、必要な照度はどれくらいか、知識と情報が必要です。例えば照明も1カ所ずつ変えているとキリがないので、10本まとめて発注しようか、という判断が必要ですね。

――これからの目標、次にこれをやりたいといったビジョンはありますか?
伊藤 自分がここまでスポーツで得たものを子どもたちに伝えてあげたい、子どもたちが大人になったときに人生を豊かに楽しく過ごすための知恵を授けてあげたい、という気持ちが非常に強いです。フィットネスをやっていたときに培った人脈から、また新しい仕事が生まれそうな気配も今しています。それはもう少し時間が経てば、お話できると思います。

――お子さんが高1、中1とおっしゃっていましたが、子育てと仕事の両立で工夫したことはありますか?
伊藤 「これが成功したよ」というのは、ちょっと思い浮かびません。やはり話を聞いてあげることくらいしかできないですよね。最終的には子どもたちが自分でやらなきゃいけないので「こうやってみたら?」と少しずつ導いてあげるしかないのかなとは思っています。ただ大事な決断のときには野放しにせず、はっきり判断は与えてあげないといけません。そこのバランスは非常に難しいし、あと近くにいてあげないと本人の変化にも気づけない。「近くにいてあげる」ことが大事なのかなと感じています。

 それぞれの部活も始まっていますし、3人が一緒というタイミングはなかなか取れません。逆に言うと一人ひとりと向き合って話す時間は取れてきていますね。

[写真]=野口岳彦

――伊藤さんに限らず大人はキャリアで悩むことがよくあるはずですが、現役のアスリートもネクストキャリアについてそれぞれ悩みがあると思います。そういう方へのアドバイスはありますか?
伊藤 悩みが無くなることはないし、逆に悩みがないほうが怖いと思います。そもそも「もうこれで絶対大丈夫」ということは、本来あり得ません。ただ「どちらに行っても大丈夫」という状態にしておけば、悩んでいても怖くはないはずです。視野をなるべく広く持って、道をいくつも持っておけば、自分に選択権が生まれます。そこが一番重要かなとは思います。

 セカンドキャリアは、波だと思っています。波が完全に下がってから次の波を探すのは難しくて、運良く次の波が来ることはほぼないため次の波まで時間が生まれてしまいます。だから収入の面でも苦労してしまうことになる。波に乗っているときこそ「他に波はあるのか」と見ておかなければいけません。波が高いときなら、次の波に飛び乗れる可能性もあります。そういう視点を持ちながらやることが重要かなと考えています。

【伊藤俊亮プロフィール】
神奈川県立大和高校を経て、2002年中央大学卒業。
現役時代は強靭な肉体と204センチの長身に走力を兼ね備えたフィジカルプレイヤーとして日本代表でも長きに渡って活躍した。2018年5月、千葉ジェッツでのシーズンを最後に16年間に渡る現役生活に幕を下ろした。引退後、千葉ジェッツのフロントスタッフとして職務に就いていたが2019年に退職。現在はその豊富な経験を生かし、バスケットボールの普及に努めている。