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2024.05.10

田中大貴の止まらない“比江島愛”「彼がいなかったら今僕はここにいない」

  • 月刊バスケットボール
月刊バスケットボール2024年6月号で、比江島慎の特集を組んだ。その中で、比江島ゆかりの6人にその人間性や魅力を語ってもらったのだが、中でも田中大貴のそれは誌面では表現し切れないのほどの愛で満ちていた──。

「自分のキャリアにすごく影響している」、比江島との大学ラストバトル

3月某日の朝10時、田中への取材は始まった。もともとは11時に設定されていたのだが、取材の昨日前に、サンロッカーズ渋谷の広報から連絡があり、取材時間を早められないかとリクエストされた。

往々にして、シーズン中の取材というのはチーム練習を終えた夕方あたりに設定されることが多い。練習前の朝10時というのはめずらしいことだ。しかも、田中は練習に向かう車内からzoomでの参加。移動時間を効率的に活用したいという田中の意図に、筆者はまず感心した。

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取材が始まってすぐは、田中のテンションはお世辞にも高くはなかった。筆者の印象だが、田中は答えるべきことにはしっかりと答えてくれるが、あまり多くを語るタイプではなく、質問に淡々と答える選手だというものがあった。取材開始時の田中のテンションが、まさに筆者の予想していたものだったのだ。

「比江島選手と初めて会ったのは中学生の頃でした。でも、あまり覚えていなくて…」

田中は比江島との出会いをそう話し始めた。「もう少し詳しく」。そんなニュアンスのツッコミを入れながら少しずつ言葉を引き出す。

「同じ九州出身だったので、試合をしたのか、それとも彼の試合を見たのかは覚えていないのですが、それが初めてだったと思います」



田中の声色が変わっていったのは、やはり大学時代の話をし始めてからだ。田中は長崎西高から東海大に進み、1学年上の比江島は最強・青山学院大の絶対的エースだった。さながら、ラリー・バードとマジック・ジョンソンのライバル関係かのように大学バスケで熱戦を繰り広げた両者は、共に在学中から日本代表に選出されるなど、日本バスケ界の未来を予感させる大活躍をしていた。

そんな2人の大学最後の対戦となったのが、田中が3年生だった頃のインカレ決勝だ。「初めて対戦したときから、比江島選手は自分にないものを持っている選手だという印象があって、彼の方が僕よりも全然バスケットがうまいし、ずっと負けてきましたから」。田中はそう語った。負けず嫌いな田中が、一番負けたくないはずの比江島のことを「僕よりも全然バスケットがうまい」と、ためらうことなく話したのは意外だった。

この決勝戦は田中擁する東海大が完璧な“青学対策”を敷き、71-57で快勝。大学では敵なしだった比江島にとっては、最後の最後でどん底にたたき落とされるような敗戦だ。しかも、田中はこの試合でフィジカルに比江島をマークして13得点に抑え込みながら、自らは27得点。文字どおり大学での最終決戦で比江島という壁を乗り越え、日本一を手にしたのだった。



「彼に勝ちたいという思いをずっと持ちながら過ごした大学生活だったので、当時僕は3年生でしたが、最後の最後だけ勝つことができてすごくうれしかったし、自信にもなりました。振り返ると、あの試合は僕のキャリアにすごく影響している試合だったと思います」

同時に、プロとなって日本代表でも共に戦うようになったことで、改めて比江島の凄さも感じていた。

「当時の日本代表の中では比江島選手だけが“自分”を持っていました。僕は海外のチーム相手に戦えた印象があまりなかったのですが、彼だけはずっと高いレベルでプレーしていました。比江島選手が4年時のインカレは僕らが勝ちましたが、1人の選手として見たときはには全然彼の方が力があると思っています」

やはり、比江島の方が実力が上だと田中は言う。周囲からはライバルと言われてきたが、田中にとって比江島は常に背中を追いかけ続けた存在だった。

比江島は「本当に特別な存在」

しかし、ひとたびコートを出ると、その関係性はまるで同い年。「なんなら年下かのように彼を扱っていました」と田中は笑う。この話は聞いたことのあるファンもいるかもしれないが、「いつもは僕が比江島選手のことを『お前』って呼んで、比江島選手が『誰がお前やねん!』って返してくるようなやり取りをしていました(笑)」と田中。取材中は一貫して「比江島選手」という呼び方をしていた田中だが、このエピソードのようにオフコートでは親密な関係を築いている。

そして、誰もが比江島の第一印象として挙げる「人見知り」という点については、田中も同意しながら彼なりの見解を示した。

「僕も人見知りをするタイプなのですが、比江島選手はもっとそういう感じ。でも、僕は比江島選手って実は賢くて、頭の回転も速いと思っているんですよ。モジモジしているように見えますけど、今となってはキャラ作りも含めて全部計算でやっているんじゃないかと思っています(笑)」

田中の考えが正しければ、我々ファンも計算された比江島のギャップにまんまと虜になっていることになるだろう。こうした話を聞いているうちに、取材時間の終了が近付いてきた。最後の質問として、比江島の魅力を総括してもらい、取材を終えよう。そう考えて質問を振る。

「魅力ですか…うーん」

田中は少し考えた後、話し始めた。


日本代表にも同時期に初選出された

「やっぱり大事なときに活躍できるところは魅力ですよね。比江島選手って試合前などにめちゃくちゃ緊張するんですよ。でも、試合が始まって舞台が大きくなればなるほどに力を発揮する。それがどんなに大きな舞台でも慌てずに落ち着いてプレーができるのは、彼のすごいところですね」

田中らしい完璧な回答だった。さて、良い話がたくさん聞けたところで取材を終えようとすると、田中が覆い被さるようにさらに話し始めた。

「僕は比江島選手に対して、昔から超えたい、勝ちたいと思っていました。そして、日本代表に入ってからも、やっぱり、何だろうな…比江島選手がより近くにいながらも、彼よりも良い選手になりたいと思って努力しました。周りの人にそうさせるところは比江島選手の良いところだと思いますし、間違いなく比江島選手がいなかったら、今僕はここにいなかったと思います。あまり表立って言ったことはないですが、多分、僕は日本のどの選手よりも比江島選手に勝ちたいと思ってプレーしていたと思います。僕は比江島選手が日本で一番バスケットがうまい選手だと思っていたし、彼のプレーを研究するというか、そうやってきました。彼のプレーを見るのも好きですし、代表の練習などでも彼をずっと見てきたからこそ、僕はわりと彼を止められたのかなと思います。一ファンとして見たときに比江島選手のバスケットが僕は一番好きでした。本人にこんなことを言ったりはしませんけど、僕の中で比江島選手は本当にめちゃくちゃ特別な存在ですね」

途中、田中は何とか落としどころを作ってうまく話をまとめようとしていた。しかし、まとめようとするたびに話したいことが湧き出てきて、なかなかまとまらない──筆者には、そう見えた。

大学時代は比江島に対して「皆さんが思っているほどの関係ではない」と、“塩対応”をしていた田中。しかし、それから10年以上経った今はよりストレートに比江島への言葉を並べた。

田中の所属するSR渋谷は壮絶なチャンピオンシップ進出争いの末にシーズンエンドを迎えた。一方、比江島が所属する宇都宮ブレックスはリーグ最高勝率でCSに乗り込み、本日、千葉ジェッツとの第1戦を迎える。田中も、ここから先は“一人のファン”として比江島のプレーを見ていくのだろうか。

※この原稿は月刊バスケットボールWEB(https://www.basketball-zine.com/)に掲載されたものです