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2024.03.16

【インタビュー】「今や私にとって日本がホーム」アレックス・カークが帰化の想い明かす

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日本代表の帰化選手争いは熾烈だ。ジョシュ・ホーキンソン(サンロッカーズ渋谷)がパリオリンピック出場に導く活躍を見せれば、ジョシュ・ハレルソン(佐賀バルーナーズ)は2月に鮮烈デビューを飾った。2人の競争に、1月に帰化申請が許可されたアレックス・カーク(琉球ゴールデンキングス)も加わることになる。アメリカ出身のカークはどのような経緯で帰化に至ったのか。日本代表への想い、タイトル獲得を目指す所属チームについても語ってもらった。

インタビュー=入江美紀雄
写真=B.LEAGUE

◆■チームメートの後押しで日本国籍を取得

――ニューメキシコ大学卒業後、2014年にNBAのクリーブランド・キャバリアーズでキャリアを始め、イタリア、中国、トルコを経て、2017年にアルバルク東京へ加入しました。まずは来日の経緯から教えてください。
カーク 日本に来る前はトルコのアナドル・エフェスSKというチームでプレーしており、契約満了に伴い、次の所属チームを探していました。スペインに行くことも考えましたが、A東京から非常にいいオファーをいただきました。プロキャリアを続けるための素晴らしいチャンスをもらえたと感じ、日本や東京のいいところも聞いていたので、喜んでこのオファーを受けることにしました。

――日本についてどのようなイメージを持っていましたか?
カーク 正直に言うと、東京や日本のバスケットボールコミュニティやバスケットボール文化に関してはあまり知りませんでした。そういった状態で来日しましたが、ここまでよくやってきたと思っています。

――日本に馴染むのには時間を要したと思います。
カーク 日本人選手とのプレーに慣れるのは2カ月ほど掛かりました。当時のA東京には安藤誓哉選手(現島根スサノオマジック)、馬場雄大選手(現長崎ヴェルカ)、田中大貴選手(現サンロッカーズ渋谷)、竹内譲次選手(現大阪エヴェッサ)といった選手がいましたが、最初の2カ月は適応するのが難しかったです。その後は軌道に乗り、素早く馴染むことができました。

[写真]=B.LEAGUE

――A東京で6シーズンにわたってプレーし、琉球ゴールデンキングスへ移籍。そして2024年1月に帰化が発表されました。日本国籍取得のきっかけを教えてください。
カーク たしか日本で3年目を迎えようとしていた時、安藤選手、ザック・バランスキー選手(A東京)、竹内選手など仲のいい日本人選手と数年先の可能性について話すようになりました。チームメートが日本代表選手として活躍することを応援していましたが、彼らが「日本のパスポートを取得すれば、日本代表として一緒にプレーできるよ!」と言ってくれたので、帰化について考えるようになりました。チームメートの後押しで日本国籍を取得することになったのはエキサイティングな経験でした。

――ニック・ファジーカス選手(川崎ブレイブサンダース)やライアン・ロシター選手(A東京)はすでに帰化選手として活躍していました。彼らに相談するような機会はありましたか?
カーク ファジーカス選手が日本国籍を取得することを早い段階で聞いていましたが、その時点のタイムラインを含め、うまく進むのか確実ではなかったので、私はどうするか決めかねていました。ただ、日本代表チームがファジーカス選手の帰化手続きをしっかりとサポートしている様子を見て、彼の手続きが無事に完了したら僕もやってみようと思うようになりました。彼の帰化は間違いなく僕にとってモチベーションでした。

――帰化手続きで大変だったことを教えてください。
カーク 率直に言って、すべてが大変でした。帰化は非常に長い期間を必要とするものですし、僕にとって重要なことでしたから。ストレスを感じるようなもので、シーズン中にやらなければいけないことも多かったです。日本語を学び、弁護士や家族にも本件を話す必要があり、すべてのプロセスが難しくて長かった。ただ、私は幸運なことに周囲の方々に恵まれていました。特に沖縄に来て以降、キングスのスタッフがしっかりとサポートしてくださったおかげで、手続きを問題なく進めることができました。

――日本代表への想いを聞かせてください。
カーク 日本代表でプレーすることは目標の1つでした。先ほど話したように、友人と一緒に日本代表でもプレーできるチャンスだと思って帰化手続きを始めました。日本代表に選出される友人は少なくなりましたが、それでも日本を代表してプレーできるチャンスがあるということは大きなモチベーションです。日本代表は先日、FIBA主要大会では88年ぶりに中国代表を相手に勝利しました。今後もいい方向に進んでいくと思います。僕がどのような形であれ日本代表をサポートできれば、それは間違いなく素晴らしい機会ですね。

――その中国戦を含め「FIBAアジアカップ2025予選」Window1で2連勝を飾りました。
カーク (グアム代表戦、中国代表戦の)両方を見ましたよ。とても楽しかったです。ジョシュ・ハレルソン選手(佐賀バルーナーズ)がデビューしましたが、日本代表としてコートに立っている瞬間は彼にとって非常にエキサイティングなものだったと思います。21リバウンドという記録も含め、見ることができて良かったです。彼らの大半はいつも対戦相手としてプレーする選手たちですが、日本代表として一致団結している姿はカッコ良かった。チームメートの今村佳太選手も出場していて、試合で見せたパッションはアメイジングでした。中国との試合はとても熱い戦いで、日本代表が昨年の夏に沖縄で成し遂げた快挙を思い出しました。

――日本代表で一緒にプレーしたい選手はいますか?
カーク 彼らはライバルですからね……難しいです(笑)。ただ、2人のユウキ(富樫勇樹/千葉ジェッツ、河村勇輝/横浜ビー・コルセアーズ)と一緒にプレーすることは僕にとってもいい経験になると思います。富樫選手は安定感があり、Bリーグの顔であり続ける存在。河村選手は成長を遂げている最中で、チームを次のレベルに上げることができる選手。そんな2人と一緒にプレーできるのは素晴らしいことだと思います。もし僕が日本代表としてプレーできるのならば、A東京時代の友人である安藤選手や田中選手に連絡を取って、「もう一度、僕と一緒にやろうぜ」と言おうと思います(笑)。

――トム・ホーバスヘッドコーチとコミュニケーションを取る機会はありましたか?
カーク 彼とは昨シーズン、A東京在籍時に会いました。日本代表のやり取りはスタッフ間で行われることもあって、日本国籍取得後はまだ直接話をしていません。彼は重大な仕事に集中しており、忙しいこともわかっています。この先に控えているパリオリンピック、アジアカップ予選が楽しみです。

――自身は2013年にユニバーシアードのアメリカ代表に選出されました。
カーク FIBAではなくジュニアのイベントでしたが、チームUSAの一員としてロシアのカザンに行きました。USA代表としてプレーすることはとてもエキサイティングな経験でした。ナイキ製のUSA代表ジャージを着て、用具もすべてカッコ良く、とても楽しかったです。ただ、事前のトレーニングキャンプをすることなくロシアに行き、海外の大学チームや代表チームと試合をするだけでした。試合にも負けてしまったので、そこには楽しさを感じられませんでした。

◆■日本での7シーズン目に突入「ここでキャリアを続けることができて幸せ」

[写真]=B.LEAGUE

――ところで、チーム内で日本語を教えてくれた先生のような存在はいましたか?
カーク A東京時代では鈴木(理惠子)マネージャーが僕にとって最高の教師でした。彼女はとても忍耐強くて、頼りになる方でしたよ。選手では菊地祥平選手(現越谷アルファーズ)といつも日本語で話していました。彼も忍耐強く僕に付き合ってくれました。あとバランスキー選手もいましたが、彼は本来のメッセージ以上にとても難しい言葉を使ってくるので、彼に日本語の質問を聞くことはやめました(笑)。キングスに来てからはいろいろな選手と日本語で話しています。そうすることで言語習得の練習にもなるので、会話をすごく楽しんでいます。

――日本語の学習で一番苦労したことを教えてください。
カーク 学習プロセスの違いだと思います。リーディングには、ひらがな・カタカナ・漢字の学習が必要で、それぞれのプロセスを踏んでからやっと日本語を読めるようになる。スピーキングは、相手の言っていることを理解するのが大事になってくる。リーディングのためには漢字を読めなければならず、漢字を読むためにはひらがなを理解しなければいけない。そういったプロセスに苦労しました。ただ、日本語能力は向上していると思っていて、特に去年はすごく上達したと感じます。もっと良くなるようにしていくだけです。

――家族に帰化することを伝えた際、どのような反応でしたか?
カーク 帰化手続きを進めている時、「あなたは最善を尽くしているよ」と言ってくれるなど、家族はモチベーションを与え続けてくれました。日本語の学習で家族に頼るわけにはいきませんでしたが、帰化手続きにおいてはずっとサポートしてくれました。特に2年前から妻が一緒に日本に住んでいたことは大きな支えでしたよ。

――自身が感じる日本の魅力は?
カーク お互いに優しくするところです。日本は「お互いに優しくする」、「思いやりをもってお世話する」という点で世界一だと思います。お互いに敬意を持って接するのが日本の魅力だと思いますし、そのおかげで僕も優しくされていると感じることがよくあります。

――沖縄の住み心地はいかがでしょうか? お気に入りスポットや好きな食べ物があれば教えてください。
カーク アメイジングです。もちろん東京も素晴らしいですが、人が多く常に混雑して、スピードも速い。沖縄に来てからは暮らしが少し静かに、そして少しゆっくりになったと感じています。今は東京から沖縄への変化を楽しんでいますよ。妻と一緒に近所の堤防まで散歩して、波や夕日を見ることが楽しいです。オールスターの期間には安藤選手、妻と一緒に外食やお茶を楽しみました。実は、沖縄料理を初めて食べたのはA東京時代のことでした。当時のチームメートだった津山尚大選手(現島根)と一緒に都内の沖縄料理屋に行ったのですが、沖縄料理はとても美味しかったです。沖縄には沖縄料理だけではなく、アメリカンな飲食店も多いので、食生活も楽しんでいます。

――日本でのキャリアは7シーズン目を迎えました。これほど長くプレーすることを想像していましたか?
カーク プロバスケットボール選手としてできる限り長くプレーしたいと思っていましたが、日本という1つの国にこれだけ長く留まることは想像していませんでした。今や私にとって日本がホームになったので、ここでキャリアを続けることができて幸せです。昨シーズン終了後はどのチームでプレーするか不確かで、難しい局面に立っていましたが、再び日本でプレーする機会をいただくことができてとてもうれしいです。

[写真]=B.LEAGUE

――シーズン終盤戦に突入しました。現在のコンディションはいかがでしょうか?
カーク 徐々に良くなっています。昨シーズンは十分にプレーできず難しい時間を過ごし、シーズン終了はオファーがなく、所属チームも定まらない状態でした。ただ、キングスに加入し、日本国籍を取得したことで、帰化選手としてプレーする時間が増えました。プレータイムの急増はフィジカル面で難しい部分があると思いますが、チャンピオンシップ進出に向けて体作りにも励み、前進していきたいです。

――チーム内における自身の役割を聞かせてください。帰化選手としてプレーするようになったことで、ジャック・クーリー選手と一緒にコートに立つシーンもありました。
カーク キングスに対して、とてもエキサイティングな思いを持っています。チームとしてどんどん良くなっていることを実感していますよ。それぞれが与えられた役割を認識し、どのようにすればいい連携ができるのかを理解していると思います。ヴィック・ロー選手が3番(スモールフォワード)をこなせるので、僕とクーリー選手が4番(パワーフォワード)と5番(センター)のポジションでともにコートに立つ。2人ともゴール下にすべてを捧げるタイプのビッグマンなので、面白いラインナップですし、対戦相手にとって僕らを止めるのはチャレンジングなことだと思います。このような形でインサイドを固めた上で、キングスには非常に優れた3ポイントシューターもいます。このチームを守りきるのはとても難しいと思います。クーリー選手はとてもナイスガイで頼りになる選手。シーズン開幕直前に加入した僕は、桶谷大ヘッドコーチのシステムなどで学ぶことが多かったのですが、クーリー選手のおかげで昨シーズン王者のチームにスムーズに馴染むことができました。僕が日本国籍を取得した時、彼はとても喜んでくれました。彼はキングスで非常にいいキャリアを築いていて、僕もこれから彼の素晴らしいキャリアの一部としてサポートできればいいと思います。

――キングスファンについてはどのような印象を抱いていますか?
カーク アメイジングですし、素晴らしいファンです。彼らが作り出してくれる環境は素晴らしいですし、沖縄アリーナの雰囲気も最高です。東京で試合をした時、会場に来てくれて、大きな歓声を上げてくれたおかげでいいプレーができました。

――最後にファンへのメッセージをお願いします。
カーク スケジュールに変化があり、シーズン中はいい時も、悪い時もありますが、そのなかで一緒にいいものを作り上げていければと思っています。天皇杯優勝、Bリーグ連覇に向けて、ともに戦ってください!

[写真]=B.LEAGUE