Bリーグ歴代最長身226cmのビッグマン、リュウ チュアンシン(アルティーリ千葉)にインタビュー
中華人民共和国から来日し、現在アルティーリ千葉のユニフォームを着ている劉 傳興(リュウ チュアンシン)にインタビューを申し込んだ。いわゆる筆談によるやり取りではあるが、24歳の若者は言葉の壁を越えて生い立ちやバスケットボールとの出会いなど、様々なことを語ってくれた。
12歳で186cm、長身生かしてバスケの世界へ
――まずは故郷の中華人民共和国河南省濮陽市について教えてください。どんな街なのでしょうか?
濮陽は『顓頊の首都』とか『舜帝の故郷』(顓頊と舜帝はどちらも、古来中国に伝わる聖人)として知られる歴史と文化の都で、中国古都協会は『中国の帝都』とも名付けています。ギネスブックに載るようなアクロバティックな雑技の伝統でも有名ですし、古代遺跡で龍の埋葬品が見つかったことから『龍の里』とも呼ばれますね。中央平原の油田地帯としても知られている街です。
――バスケットボールは盛んですか?
バスケットボールは1990年代から今までずっと盛り上がっていて、著名なプレーヤーがやって来てプレーしてくれたことも何度もあります。今でも故郷に戻ればバスケットボールを愛する大勢の人たちに会うことができます。
――小さかった頃はどんな少年だったんですか? やっぱり12歳の頃には大きかったんでしょうね!
僕は比較的早く故郷を離れたので、子どもの頃から自立心が強いほうでした。自分で消化しなければならないことが多かったからでしょうね。身長は12歳の頃には186cmくらいあったと思います。
――ご両親やご家族も皆さん大きくてバスケットボールをする方々でしたか?
家族は父が172cmで母が163cm。ほかも皆そのくらいです。バスケはしないんですよ。皆故郷にいます。
NBAレジェンドのヤオ・ミンに影響された
――バスケットボールを始めたのはどんなきっかけだったんですか?
始めたのは子どもだった頃で、背が高かったからですね。家族の勧めで濮陽のスポーツスクールに通うようになって、そこで鍛えてもらいました。最初はあまり好きになれなかったんですけれど、ショットの感覚が身について得点できるようになると変わってきて、少しずつプレーするのが楽しくなっていったんです。いいコーチとの出会いもあって、プロになることができました。
――中国にはバスケットボールの素晴らしい伝統があります。NBAに衝撃を及ぼしたヤオ ミン(姚 明)、1980年代の中国代表で活躍したムー ティエジュー(穆 鉄柱)や15年ほど前にbjリーグでもプレーしたスン ミンミン(孫 明明)など偉大なビッグマンの名は日本でも知られていますが、あなた自身が最も影響を受けたり憧れたプレーヤーは誰でしたか?
僕は中国バスケットボール協会のヤオ会長に最も大きな影響を受けました。やっぱり僕たちがNBAでプレーできることを示した方ですから。影響力は大きい方で、ヤオさんのおかげで人生が変わったという人はほかにもいます。
――人生における恩師と言ったらどんな人が浮かびますか?
僕は高潔な指導者に恵まれたので、そういう人が何人かいます。その一人一人が僕のバスケットボール人生で大きな存在です。例えば、故郷のスポーツスクールで教えてもらったツァイ ジュンさんはその一人で、僕を深圳のスポーツスクールに送り出してくれた方です…(この回答に続き、リュウはひとしきり自身の成長を助けた恩師の名前を挙げ、「僕がプレーするのに必要な、大切な教えをもらいました」と感謝を述べた。義理堅い人柄が伝わる返答だ)。
——ウェブであなたのことを調べてみると、2020年に青島イーグルス時代に1試合25得点15リバウンドを記録したのをはじめ、CBA時代に素晴らしい試合をした記録がいくつも見つかります。16得点、19リバウンドを記録した同年の吉林ノースイーストタイガース戦もあったし、やはり同じ年(シーズンとしては翌2020-21シーズン)の天津パイオニアーズ戦では18得点、15リバウンド、5ブロックショット。ご自分では、これまでのキャリアで最も記憶に残るゲームはどれですか?
ベストゲームは2021年のプレーオフで四川ブルーホエールズと対戦した試合です。当時四川には、イラン代表のセンター、ハメッド・ハダディが所属していたんですよ。レギュラーシーズンではいいところなく負けてしまっていたんですが、最後のチャンスだったプレーオフでなんとか勝つことができて。僕も非常に調子が良くて、数字的にも悪くないプレーぶりでした(この試合もググってみると最終スコア93-91という大激戦での勝利で、リュウ自身は20得点、13リバウンドのダブルダブルに4ブロック、1アシストを記録している)。
千葉の中華料理もお気に入り
——リュウ選手はオフコートのご自分をどんな人だと思っていますか? A-xx(アルティーリ千葉ファンの愛称)はもちろん、日本のバスケットボールファンも知りたいと思うのですが。
コート外では物静かな方です。僕は比較的早く故郷を離れたので、子どもの頃から自立心が強いところもあります。自分で消化しなければならないことが多かったからでしょうね。でも楽観的な仏教徒で、いつも笑顔でいたいなと思っています。
1月31日のベルテックス静岡戦で山田安斗夢のドライブをブロックに行くリュウ(写真/©B.LEAGUE)
——千葉市には中国からの移民の方々も大勢暮らしています。その方々の応援ももらえそうですね。
そうですね。僕の試合を見に来てもらって、ぜひ交流できたらいいなと思います。
——オフはどんな風に過ごしていますか?
外出したり食事するのが好きです。焼肉とか寿司とか…。千葉の中華料理も食べに行きましたよ。ここでは故郷の味とは少し違って、日本の人々の口に合うように進化させているのがわかりました。どれも気に入っているし、千葉市は住み心地がいいです!
——あなたのユニフォームは12番ですね。それには何か理由があるのですか?
僕のキャリアが12月21日に始まったので、これまでは#21でした(リュウは青島時代、ブリスベン時代、ベイエリア時代とも#21で、中国代表では#13を着用していた)。でもアルティーリ千葉で#21と言ったらチームメイト(ブランドン・アシュリー)の番号だし、#12も僕にとってはラッキーナンバーなので、#12にしました。
——来日を決めた経緯はどんなものだったんですか?
マカオいたとき(リュウはベイエリア・ドラゴンズの一員としてEASLでプレーした後、昨秋にマカオのブラックベアーズというクラブと一時的に契約していた)に、このクラブの方々がワークアウトを見るために来てくれたんです。僕を気にかけてくれて当時のコーチ陣とも色々話してくれたようでした。僕自身もそのときにとても良い時間を過ごせたのが決め手です。
正直、アルティーリ千葉のことはほとんど知りませんでしたし、来日して合流するまでどんなチームかわからないままでした。
——それにしては最初から活躍できていますね。3Pショットも何本か決めましたし、ファンも喜んでいるじゃないですか。
皆が応援してくれてとてもうれしいです。しっかり活躍して恩返ししなければいけませんね!
コミュニケーションは「簡単ではないが楽しみながら取り組んでいる」——アンドレ・レマニスHC
アンドレ・レマニスHCはリュウ自身についても、チームとしてのリュウの起用法という観点からも成長を実感していることをかねがね語っていた。デビュー当初は、対戦相手がリュウとガードを絡める形でピック&ロールを使って攻めてくるケースで、スウィッチした結果相手ガードにオープンルックで3Pショットを打たれる場面も多かったが、徐々にそういった場面への打開策も見出しつつあることが、プレーぶりから感じられる。
2月24日、25日の熊本ヴォルターズ戦では、リュウがアレックス・デイビスや黒川虎徹らと連係し、ピック&ロールディフェンスで相手のガードやウイングのプレーヤーをコフィンコーナーやサイドライン際に追い詰める場面が度々あった。リュウとデイビスのダブルチームは平均身長が216cm。これを受ける側は、「相当な」というような形容では表現できない恐ろしさがあったのではないだろうか。実際にリュウは、GAME1でピック&ロールに対するディフェンスから相手のターンオーバーを2度誘発している。オンボール・プレッシャーをかけるハードヘッジも、インサイドにスリップするスクリーナーへのリカバリーも早い。レマニスHCはリュウのディフェンスを、「思っていた以上に足が良く動くんですよ。しかも、チーム全員が勝利にコミットしているという信頼関係の上で、思い切りプレッシャーをかけに行けているんです」と説明した。
オフェンスでは、「いるだけでごく自然にパスのターゲットとして相手を引き付けることができる」という事実をレマニスHCは大きなアドバンテージと認識しているようだ。リュウの生かし方については「まだまだ完成形には遠い」とのことだが、精度も強度も今後さらに期待値に近づいていくのだろう。
サイズを生かすフィジカルなプレーだけでなく、ミドルレンジ、ロングレンジのシューティングタッチやカッターへのアシストなど器用さも備えたリュウだが、レマニスHCの下でコートIQもさらに磨かれているようだ(写真/©B.LEAGUE)
ちなみにレマニスHCは、リュウとのコミュニケーションについてはやはり難しさも伴うことを認めている。ただ、「彼のバスケ英語はOKレベル」とのことで、大きな問題ではないという認識だ。1月半ばに話を聞いたときには「なかなか面白い状況です。英語に日本語に中国語というのは簡単ではありませんけど、楽しく取り組んでいますよ」と笑顔で話していた。「彼の方で感覚的に英語に慣れきている中で、伝える側も一貫した内容を伝えて考え方をできるだけしっかり飲み込めるようにしています。それに彼は賢いので、状況を一度見ただけで即座に修正を効かせられるので、ものすごく助かっていますよ」
リュウは昨年11月25日の新潟アルビレックスBB戦でデビューして以来、3月3日時点までに28試合で平均7分39秒プレーして4.3得点、フィールドゴール成功率55.8%、3P成功率33.3%、2.9リバウンド、1.0アシスト、0.3スティール、0.4ブロックのアベレージを残している。このアベレージは特段に驚くべきものではないかもしれない。しかし、3月2日の新潟戦では、ローポストでのスピンムーブから強烈な片手ダンクを叩き込み、速攻のトレーラーとなってフルコートを突っ走って両手ダンクでバックボードを揺らしと大暴れ。キャリアハイとなる19得点を記録した。こうしたプレーぶりを知れば、相手はリュウがコートに入るたびにディフェンスを変えたりラインナップを変えなければならなくなる。リュウの投入には現時点での数字では見えない巨大なインパクトが伴ってくるのだ。
逆に言うと、リュウがいる時間帯をどう戦うかに加えて、その時間帯とリュウがいない時間帯をつないでいくラインナップ的なトランジションのマネジメントも、アルティーリ千葉にとって一つの課題になりうる。攻め方も守り方も変わってくるこの二つの時間帯をうまく作り上げ、つないでいくゲームプランは、レマニスHCの腕の見せどころ。東地区連覇を達成したアルティーリ千葉は、レギュラーシーズンの残り15試合とプレーオフでどれだけ完成形に近づいてくるだろうか。対戦相手側の戦い方とともに、この部分はB2の終盤戦で一つの見どころを提供してくれる要素だ。
☆リュウ チュアンシンのプレーヤーストーリー(アルティーリ千葉公式サイト)
3月2日の新潟アルビレックスBB戦より。この試合でリュウはキャリアハイの19得点を記録した(写真/©B.LEAGUE)