「本当に尽誠学園に入って良かった」、渡邊雄太が経験した2度のウインターカップ決勝
身長が伸びる中でスケールアップしていった渡邊
「高校に入った時はちょっとでかくて動ける、そこらへんの選手でしたけど、色摩(拓也)先生に育てていただいて本当に感謝したいですし、本当に尽誠学園(香川)に入って良かったと、今、心から思っています」
尽誠学園3年生だった渡邊雄太(千葉ジェッツ)の言葉である。中学入学時には160cm、それが卒業時には180cmに成長。元々ガードをやっていたという高校2年生時には196cmとサイズが大きくなっていったが、その器用さは変わらず。一方で勝負強さを身に着け、スケールを大きくしていった高校時代だった。
父は熊谷組でプレーしていた渡邊秀英さん、母はシャンソン化粧品でエースとして活躍し、日本代表としても活躍した久保田(旧姓)久美さん。小学校1年生からミニバスをはじめ、左右どちらでもシュートを打てるように指導を受けてきて、電柱に向かってまっすぐボールを放つというおもしろい練習もこなしたという(円柱である電柱に正面から当ててまっすぐ返ってくるという練習)。
元々ガードをやっていたという渡邊は、尽誠学園で1年生から出場し、ハンドラーからインサイドまでをこなすオールラウンダーだった。それでも1年生のインターハイは2回戦敗退、ウインターカップでは3回戦敗退、2年生のインターハイは3回戦と全国の壁は厚かった。この直後、渡邊はジョーンズカップに出場する日本代表に選出される経験をした。そして迎えたウインターカップ2012で、尽誠学園は壁を乗り越えることになる。
初戦、岐阜農林(岐阜)に対して渡邊は33得点、19リバウンド、5ブロックと圧倒的なプレーを披露。90-64で退けると2回戦ではインターハイ準優勝でシード校の福岡第一(福岡)と対戦することになる。1Qは14-20、初戦である相手がいい立ち上がりを見せた。しかし、2Q以降ペースを握ったのは尽誠学園。3年生の笠井康平(現福島)が37得点と大暴れすると、渡邊は29得点10リバウンドと安定のダブルダブル。終わってみれば、86-70と2桁差を付けての勝利だった。それでも渡邊は「今日はイマイチでした」という言葉を残している。フィールドゴールは11/17、ターンオーバーは3と数字は悪くない。それでも“納得できないところがある”。さらなる高みを目指すからこその言葉だった。
強敵を下した尽誠学園は、3回戦で湘南工科大附(神奈川)に101-70で下すと、準々決勝では洛南(京都)を66-65と1点差で下す(4Q尽誠学園13得点中11点が渡邊)。準決勝の沼津中央(静岡)は笠井と共にフル出場。63-58で勝利すると同校にとって初の決勝進出を果たした。しかしながら、その決勝ではインターハイ王者でベンドラメ礼生(現SR渋谷)らがいた延岡学園(宮崎)に55-88で敗戦することに。22得点と存在感を見せた渡邊だが、「納得のいく試合ができませんでした」と悔し涙を流した。それでも “渡邊雄太”という名前をさらに広く知らしめる機会になったことはまちがいない。
失意の夏から復活、ウインターカップで再び決勝へ
そして最高学年に。しかし、インターハイではほろ苦い経験をした。シードとして迎え、初戦となる2回戦で正智深谷(埼玉)に84-94で敗れてしまったのだ。「シードに入ったという安心が自分たちにはあって、初戦の入り方のところで相手が1試合多くやっている分、こっちの方が難しかったです」と振り返った渡邊は、その後に向けて「ファウルぎりぎりのプレーに対しても自分のプレーができるようにしたいと思います」と言葉を絞り出した。
迎えたウインターカップ。初戦で美濃加茂(岐阜)を退けると「一安心というか、うれしいです」と渡邊。2回戦では夏に敗れた正智深谷と対戦した。試合は相手のペースで進み、6点のビハインドで4Qを迎えた。それでもここでディフェンス強度を上げていくと渡邊がオフェンスをけん引し、残り4分に追いつくと、その1分後に渡邊がミドルシュートを沈めて75-73でリベンジを果たした(渡邊は31得点、19リバウンド、5ブロック)。
その後、3回戦で九州学院(熊本)を、準々決勝で福岡大附大濠(福岡)を、準決勝ではインターハイ準優勝の洛南(京都)を下して2年連続で決勝に駒を進めた。
延岡学園との決勝は2年連続の顔合わせとなったが、結果は同じく準優勝だった。それでも、前半で15点という差を付けられながらコツコツと返していって66-68と迫るなど決して諦めない姿勢を披露し、観客から歓声と惜しみない拍手が送られた。「うちの子たちが一生懸命やっていることを感じていただいたと思います」と語った色摩コーチ。完成度を高め、エース頼りにならないチームに成長したからこそ、渡邊がより生きる。そんなチームだった。