2023/06/20B.HOPE STORY#026

熊本地震から7年
~スポーツが地域に与える力、スポーツ選手の存在意義とは~
田渡凌選手インタビュー(後編)

※本記事は、2023年4月にインタビューを実施しました。

2016年4月、最大震度7を記録した熊本地震から今年で7年を迎えました。
B.LEAGUE 2022-23シーズン、熊本ヴォルターズでは所属選手が被災体験を知るための活動や、当時大きな被害に見舞われた益城町総合体育館で約7年振りの公式戦開催、さらに復興を目的の一つとしたホームゲームイベントなど、様々な活動が行われました。
当時を知る選手は誰一人いない中、語り継がれる震災当時の様子やクラブと地域の絆。 後編では、2022-23シーズンに同クラブへ移籍した田渡凌選手へ、現役選手が感じた記憶の継承の大切さや、クラブや選手の存在意義についてお話を伺いました。

※本記事の前編はこちら:https://www.bleague.jp/b-hope/hope-story/story_detail/id=312014

田渡凌選手(2022-23シーズン 熊本ヴォルターズ所属)

「こんなにも崩れてしまうんだ」ー練習場が崩壊した熊本地震

ーー田渡選手は2022-23シーズンに熊本ヴォルターズへ加入されましたが、2016年の熊本地震で地域やクラブが大きな打撃を受けたという歴史はご存知でしたか。

田渡選手)はい、日本バスケットボール選手会で復興に関する話が度々上がっていて、小林慎太郎さんをはじめ、色々な情報共有はいただいていました。僕自身、当時は日本にいなかったのですが、SNSも普及していたので、熊本県の象徴である熊本城が崩れた写真などを見た覚えがあります。

ーー昨年、被災体験を伝える活動に取り組む方(語り部さん)から、震災当時の様子やクラブの支援活動について聞いた時、どう感じましたか。

田渡選手)語り部さんからは、震災当時に家族を失った人たちがいる話や、町の人たち同士で助け合ったエピソード、そしてヴォルターズが地域とどのように関わってきたのかなど、お話を伺いました。

最初は熊本県のどの辺りで地震が起きたのかさえ、正直知らない状態でしたが、自分たちが普段練習している場所である「益城町」が震源であったということを聞きました。今も練習場までの道のりが工事をしていたりと、完全に復興したわけではない状態であることも知りました。

当時の練習場でありメインアリーナだった体育館が崩壊した写真も見たのですが、他の選手も、衝撃というレベルを超えて「こんなにも崩れてしまうんだ」と。それが今、こうやって練習をさせていただいて、感慨深いという言葉では説明できないくらいの感情でした。

また、別の話になりますが、熊本地震に関するニュースでは「記憶や教訓を忘れがちになっている人が6割くらいいる」という話がありました。クラブ・プロ選手として多くの方々に応援していただける立場である以上、風化させないように協力できる部分があるとも改めて感じました。

益城町での公式戦を控えた選手たちが震災と復興の歴史を学んだ

練習場が崩壊した当時の写真

参考:熊本地震・益城町と熊本ヴォルターズについて語り部の方から学ぶ
https://youtu.be/hQOA4dHilRI

ーー中でも印象に残っているお話はありますか。

田渡選手)「ヴォルターズの選手たちが、どれだけ地域の人たちの支えになっていたのか」ということを、語り部さんからは何度もお話いただきました。「ヴォルターズの選手が来てくれたから元気になった、本当に感謝している」と。僕含めて今所属している選手たちはもちろん当時は何もしていませんが、これまでヴォルターズを創り上げてきた先代の選手たちは人々の記憶に残っていて、それを現役である僕たち選手が次の世代に残していかなければと思っています。

選手と地域の人が握手をする様子
(写真提供:熊本ヴォルターズ)

6年8ヶ月振りに開催した益城町での公式戦、掲げられた「ただいま」の横断幕

同クラブがホームアリーナの一つにしていた益城町総合体育館は、熊本地震により天井が剥がれ落ちるなど、大きな被害に見舞われました。そして今シーズン、その体育館で6年8ヶ月振りに公式戦を開催。第2戦目はチケットが完売するほどの満員で、両日で約2500名のファンの方々が集まりました。

ーー昨年12月、益城町総合体育館で地震後初めての公式戦が開催されました。コートに立たれての気持ちや、ファンの方々の反応はいかがでしたか。

田渡選手)震災当時に所属していた選手の方々が、益城町で試合をすることに対して「ようやくここまで(試合をできるまで)きた」と、SNSで発信されていて、それくらい歴史のある場所だと改めて感じました。

試合会場では「ただいま」という横断幕があって、今所属している選手は震災当時誰一人熊本にはいませんでしたが、クラブとして長い歳月を経て益城町に帰ってくることができたんだという想いでした。

益城町の方々だけでなく、復興の過程で熊本ヴォルターズの姿を見て「自分たちも頑張ろう」と思っていただいていた人たちも試合に来れたという話を聞きました。益城町の体育館はキャパシティが大きい方ではないのですが、収容率は最大でチケットも完売だったと聞き、益城町での試合を楽しみにしていた方々がこんなに沢山いたんだと。本当に記憶に残る試合でしたし、これからも頑張らなければと、改めて思う瞬間でした。

第2戦は約1500人のファンが集まった

試合会場で掲げた「ただいま」の横断幕

ーー今年1月にはクラブ創設10年目の節目として、4日間のホームゲームで「BLACK VOL FES」が開催されました。イベント売上の一部を熊本城の復興のために寄付するとしたイベント。まず、熊本城を訪問した時はどんな様子でしたか。

田渡選手)イベント開催のPRとして熊本城を訪問させていただきました。熊本城自体は人が入れるようになっているのですが、周辺ではまだ崩れたままになっている場所がありました。歴史的建造物が歪んでいる様子は、生で見ると本当に衝撃的でした。

この訪問とは別に、熊本城の復旧工事に携わっている方と話す機会があったのですが、「完全復旧には何十年もかかる。今工事に携わっている人の中でも、復旧した熊本城を見れない人も中にはいるのでは」と。それを聞いて、本当に大がかりなことなんだと感じています。

「BLACK VOL FES」は田渡選手にとってどんなイベントになりましたか。

田渡選手)年初めの試合だったのですが、多くの方々に試合を観に来ていただき、来場者に「BLACK VOL FES」と書かれた黒いTシャツが配られました。イベント開催以降も、そのTシャツを着ている人を見ると、このイベントが皆んなの記憶に残る良いイベントになったのではないかと思っています。

黒一色に染まった会場

地域の方々にとって「元気の源」になれるように

ーー今シーズン、熊本地震の歴史から復興の瞬間も経験されて、今後クラブとしてまた選手個人として、どういう想いを持ってバスケットボールに取り組んでいきたいですか。

田渡選手)語り部さんや、先代の選手が行ってきた活動を知ってやはり一番思うのは「クラブや選手が(地域の方々の)原動力なんだ、元気の源なんだ」ということです。

震災の復興だけでなく、地域の皆さんの元気の源になれるように、試合を通して頑張ろうと思っていただけるような存在になりたいですし、そのためにコート上で最大のパフォーマンスができるよう準備していきたいと思っています。

6年8ヶ月振りに公式戦が開催された益城町総合体育館では
震災以降のホームゲームの写真が飾られた