2020/05/26B.HOPE STORY#004
田渡選手

選手のHope活動~田渡凌選手編~

2019-20シーズンのB.LEAGUE AWARD SHOWで、MIP(Most Impressive Player)賞を受賞した田渡凌選手(26)。そんな表舞台の裏で、彼が、障害のある人たちを試合に招待したり、一緒にバスケットを楽しんだりする社会貢献活動「TAWATARI PROJECT」に取り組んでいるのをご存じでしょうか。こうした取り組みを始めたきっかけ、活動に込めた思いを聞きました。

2019年5月ごろから、動き始めたと聞きました。

「19年の春ごろに母が体調を崩しました。母が元気なうちに、母から学んだことを少しでもかたちにしたいと思ったのがきっかけでした。母は特別養護学校の教員をしていて、小さいころ、僕は母から障害のある子どもたちの話を聞いたり、母が勤める学校へ行ったりしていました。そんな経験があったので、いつか自分も社会貢献活動をしたいと、頭の中でずっと考えていました」
「初めてのイベントは、その年の8月に開きました。知的障害者のバスケットチーム、一般応募の参加者、B.LEAGUEの選手や俳優、お笑い芸人の方々に集まってもらいました。バスケットのクリニックをやったり、試合をしたり。まわりの皆さんの助けを借りながらでしたが、自分で会場となる体育館をおさえ、用具をそろえ、そして、俳優さんや芸人さんのマネジャーの方々と参加の交渉をしました。多くの方々が、僕の考えに賛同してくれたことはとてもうれしいことでした。そして、イベント後には『これからも続けて欲しい』という声もたくさんもらいました。イベントをやって本当に良かったなと思っています。母もいまでは元気になり、僕がこうしたイベントを始めたきっかけを知り、とても喜んでくれました」

お母さんを通じて学んだこととは何ですか。

「母に子どもの頃からよく言われていたのは、『障害のある子どもたちを、ハンデがあるから可哀想、という目で見るのはよくない』ということでした。強く印象に残っているできごとがあります。母が勤めていた学校の文化祭を訪ねたときのことでした。知的障害のある子が、ものすごく上手にピアノを弾いていました。僕の周りに、あそこまでの演奏ができる子なんていません。どこかにハンデを抱えていたとしても、自分に持っていないものを、持っている人がいることを知りました」

高校卒業後に留学したアメリカでの経験も、背中を押していると聞きました。

「僕の大学が所属していた全米大学体育協会(NCAA)では、各大学のアスリートが一定の時間、社会貢献活動に参加することを義務づけています。障害のある子どもたちや所得の低い世帯の子どもたちを大学に招いてバスケットをしたり、彼らの学校へ行って一緒に遊んだりした経験があります。親が薬物中毒だったり、血のつながっていない親との関係がうまくいっていなかったりする子どもたちが、見ず知らずの僕と鬼ごっこやドッジボールをするだけですごく喜んでくれたのを覚えています」
「アメリカには世界のトップアスリートや芸能人が数多くいます。そして、彼らが社会貢献活動をするのが当たり前の環境があります。NCAAでプレーするアスリートの多くは、高い奨学金をもらっています。特にバスケットは全米からの注目を集める人気競技であることもあり、周りの見る目も特別で、校内や街中で『頑張って』と声をかけられることも少なくありません。アメリカへ行くまでの僕は、『一生懸命にプレーして、それを見て何かを感じてもらえればいい』ぐらいの考えしかありませんでした。しかし、アメリカで暮らした時間を経て、与えられているものが多い人であればあるほど、社会に還元しなければいけないと思うようになりました」

活動の中で、スポーツの力はどう役立っていますか。

「スポーツのいいところは、目に見えるかたちで達成感を味わえるところだと思います。僕はいまでも、放ったシュートが入るとうれしいし、気持ちがいい。一緒にバスケットをやった人たちも、パスが決まったとか、ドリブルで股の下を通せたとか、新しく何かができるようになると、生き生きした表情を見せてくれます。バスケット選手であれば、車いすバスケットや知的障害者のバスケットなどにも目を向けやすいですね」

最近は日本でも、多くのプロスポーツが積極的に社会貢献をするようになりました。2018-19シーズンに所属していた横浜ビー・コルセアーズでは、長期療養が必要な佐々木美琴ちゃんをチアリーダーの一員として迎え入れ、一緒に練習したり、試合でパフォーマンスをしたりしました。こうした社会貢献活動はB.LEAGUEの各クラブが取り組んでいます。

「彼女が試合に来てくれたときは声をかけるようにしましたし、体調を崩したときはお見舞いにも行きました。知り合ったことで、長期療養が必要な子どもたちの存在に気づき、手を差し伸べるきっかけをもらえました。いまでも特別な存在です」

日本では、アスリート個人による社会貢献活動が少ない印象を受けます。あえて個人で動いた理由はありますか。

「チームの一員として児童養護施設を訪問することがありました。ただ、試合への影響を考えてスケジュールが組まれるため、そうした活動は年に1、2回程度です。訪問先も、自分で決められるわけではありません。昔から、人に何かをやらされるのが好きではない性格もあって、自分が会いに行きたくて、相手も僕に来てもらいたいと思ってくれる施設を訪れ、少しでも多くの人たちに『いい時間だった』と感じてもらいたいからです」
「日本では、周りがやっていないことに取り組むと、ちょっと違う目で見られる空気があると感じます。だから、志を持っていても、なかなか行動に移せない人がたくさんいると思います。僕は、自分が正しいと思って行動したことを、他の人たちにどう思われても気にしません。信念を持って活動する人が増えたらいいなという思いはあります。僕が現役のプロ選手であることは、こうした活動をする上で、とても大きなことだと感じています。引退した後といまでは、周りを巻き込む力が天と地ほど違うと思います。だからこそ、自分に少しでも知名度があるうちに発信することが大切だと考えています」

日本で活動を続けるうえで、難しさを感じることはありますか。

「日本では、助けを必要とする人たちが、『助けて欲しい』と言い出しづらい雰囲気を感じます。アメリカでは、シングルマザーが生活保護を受けていることを隠そうともしませんでしたし、それをとがめるような声もありません。誰もが堂々と助けを求めていました」

これから、どのような活動を考えていますか。

「答えはとてもシンプルで、『困っている人がいたら助けたい』。その一言に尽きます。僕は神様ではないので、すべてを救えるなんて思ってもいません。けれど、困っている人たちに目を向けるきっかけを少しでもつくっていきたいと思います」

新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、せっかくの活動が制限されてしまいそうです。

「コロナの影響で困っている人が増えているのに、直接会いに行けない、動けない。それが、本当にもどかしいですね。最近では、医療従事者の方々に感謝を伝えようと、神奈川県内に拠点があるアスリートたちと動画をつくりました。マスクなど病院で使う物資が不足しているとも聞きます。彼らをどういうかたちで支援していったらいいのか、いまはすごく考えています」

田渡選手

※インタビューは朝日新聞との連載企画です。

・該当ページURL
https://www.asahi.com/articles/ASN6X73J6N6NUTQP01N.html?iref=pc_ss_date